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高橋信次先生に学ぶ

高橋信次先生に学ぶ

光を入れること

- 光を入れること -


われわれが(心に)感ずるということは、心から心へ直接に感ずるものと、全身に散在しているバイオプラズマ体、即ちツボを通して感ずるのがある。

天気が悪くなる前になると神経痛が痛くなる、というのもそれであるが、外からの刺激に対してわれわれの心が自主性を持たずに無関心であると、われわれの心はいつも周囲の変化に引きずり廻されて、心がくるくる変わるということになるから、引きずり廻されないように、自己を確立しなければいけないのである。


光を入れるということは、次のニつのことが同時に行なわれるのである。

l、われわれの心が直接細胞精神に通ずる

2、手を当てることによって、オーラー即ち生命エネルギーが直接に細胞に注入され、特に皮膚上に散在するバイオプラズマ体、即ちツボからは多く注入され、弱った細胞は活力を与えられる。

人は誰しもがオーラーが出ているのであるから、どこかの教団の会員になって、「光」と書いた、お守りをもらわないとオーラーが出ないというものではない。

オーラーは自分の心のあり方によって、そのカは違うのであるが、オーラーを出すのには一銭の金もいるわけではない。

私(園頭先生)は光りを入れて治すという方法は、誰からも教えられず自分で自然にそうしたのであった。
高橋信次先生に、それは「光りを入れる」ということであると教えられて、それは古い昔から人類がやってきていたことだ、ということを教えられたのであった。

何とかという神さまを拝んで、そこの教団で出しているぺンダントをかけなければ、その力が出ないというのであったとしたら、私が手を当てても治るということはなかった筈である。

無知ほど恐ろしいことはない。

ある教団では、その人の額に手をかざして光りを入れると憑依霊が浮き出すという指導をしている。
これは高橋先生が教えられた光りを入れるのとは、全く違うことである。

子供が、ぜんそくだというので、その教団に行っていた人があった。
その教団の講師が手をかざすとその子供が暴れ出す。
大人が四、五人かかっても、押さえ切れない程の力が出るという。
その後はぐったり死んだようになる。
いくら続けていっても、暴れるのがますます激しくなるだけで一向に良くならない、といって来た人があった。

高橋信次先生はその教団を支配しているのは、動物霊であるといっていられた。

動物霊にも大将親分がいて、幹部講師にはその子分がつくのである。
動物霊の世界では、カの強い霊が弱い霊を支配する。
その子供の場合は、その子供の霊が目ざめていたから、動物霊に支配された講師の邪悪な波動に拒絶反応を示したのである。

小児ぜんそくというのは親の心の不調和であるから、親が不調和である限りどんなに他の治療法をとっても、一時良くなった様に見えていても、根本的に治るということは難しい。

別に意識して調和を図ろうとしているわけではないが、子供がぜんそくで苦しんでいるのを見たりして、どうかして治さなければいけない、ということで子供を治療しているうちに、知らず知らずのうちに夫婦が調和してその結果よくなったという人がある。

その人は正法を知って、親自身が心の調和を図っているうちに子供のぜんそくは治った。

口で愛を説きながら、どうして教団に金を集めようかと、いろいろ手段を尽して信者会員から金を集めることを考えている宗教指導者は、動物霊に支配されているとみて間違いはない。
その指導者がどんな立派なことを言ってもである。

正法を説くことを使命として現われてきた光の指導霊は、神の名を利用して教団の財産を増やしたりすることは絶対にしないのである。
勿論、神殿をつくって神を祭るということもしない。

信仰をすることによって何かの益を得ようとか、人の持たない霊力を持ちたいという欲望を持っている人は、本人は無意識のうちに動物霊に支配されてゆく。

そういう人たちは自分では正しい信仰をしていると思っているけれども、冷静な第三者から見ると、必ず非常識な理解し難い言動をするものである。



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